【教員インタビュー】M-1グランプリ創設者/元朝日放送プロデューサー「生活言語コミュニケーション論」吉村誠先生

今回は、後期の講義である『生活言語コミュニケーション論』を担当している講師の吉村誠先生にインタビューを行いました!

インタビューの第2回目という事で、今回は「コミュニケーション」の講義がどういったものなのか。また吉村先生の経歴など様々な事を聞いてきましたので、どうかお楽しみいただけたらなと思います!

 

吉村誠先生について

今回講義を担当して頂いた吉村誠先生は、元・朝日放送プロデューサーとして、表現を作るお仕事をされてきました。

テレビマンとしての吉村先生は、バラエティ番組・ドラマ・演劇や映画と多種多様な表現を制作してきたそうです!

その中でも特に我々と関わりが強いのは『M-1グランプリ』でしょう!

吉村先生はM-1グランプリの創設者の1人という事で、そういった所にも話を聞いてきました!

そんな吉村先生の「コミュニケーション」についての講義は、一貫して常に同じ事を言っています。

『言葉の基本は、体の運動である』

吉村先生のコミュニケーションに関する考え方は一貫していて、インタビューだろうと講義だろうと同じ事を言っているなと感じる所がありました。
そういった所からも面白くインタビューを楽しめるんじゃないかと思います!

それでは、ここからは私と吉村先生とのインタビュー記事になります!どうぞ!

 

「コミュニケーション」の講義について

―――今回はよろしくお願いします。

 

吉村先生:はい。お願いします。

 

―――じゃあ早速なんですけど、今回の講義からお聞きしていきたいと思います。

 

吉村先生: ええ、何でもええよ。どんと来いやで。

 

―――今回の講義で凄く印象的だったのが、「コミュニケーション」だけを伝える講義だけではなく、
言葉を使う“人”であったり、言葉の“歴史”といった様々な視点からコミュニケーションを教えてくれているように感じました。
なぜこういう講義を行うに至ったのか、教えて頂ければと思います。

 

吉村先生: ああ、それはね。僕が元々の大学の先生、つまり研究とかをずっとやってきたわけではないからです。

僕はその言葉を使って、多くはお笑い芸人や俳優といったタレントさん達と一緒にずっとテレビを中心に、映画や舞台も作っては来たけど、実際に言葉を使っている人達と一緒に『表現を作って』きたからだな。

それをずーっと仕事としてやってくる中で、アカデミックな知識じゃなくて、一緒に喋って、しゃべくってテレビを作り、ラジオを作り、映画を作り演劇を作っていく中で、何が一番大事なのかって事に自然に気付かされたんよね。

“あっ、言葉って「しゃべくり」や”って事に、嫌でも分かる様になってきた訳よ。

例えば、タレントと次の番組を“こうしてこうしようや~”とか“こうしたらオモロイよな!”って喋る時に、人間目の前に紙とか文字とか置いてないんよ。

目の前に紙と文字が置いてると皆読んでまうねんな。けど、“読む”と“喋る”は、似ている様で全く違うねん。ここに三十年間仕事をしてきて嫌でも気付かされたんやな。

特に「お笑い芸人」に。

僕はお笑い芸人が大好きで、吉本のなんばグランド花月がディレクター人生の原点だと思っているぐらいの人だから、吉本のお笑い芸人と一緒にずーっと喋って仕事をしていく中で、人にとって一番大事なのは“しゃべり”やと、気付いたんよな。

そのしゃべりはかっこいい事を言うとか、難しい事を言うとか。これは授業でもやったけど、“「しゃべり」というのは体や”と。

身振り手振りで喋る事も、体の中から音を出すという運動であると。

喋りというのは運動であるという事をお笑い芸人さんたちと仕事をしてきた中で、身についてきたと言うか、分かるようになってきた。

そうすると僕も、喋るってこうやって全身を使って身振り手振りで、目でもって、心と体から気持ちを伝える。

“俺はこんな事を思ってんねん。
君はどう思ってる?考えてる?”って、ここで初めて「やり取り」が始まると思ってるんです。

そこには必ず“やり”・“取り”の2つがある。双方向で初めて始まるんだよな。

言葉の基本というのは、体の運動なんだなという事に、仕事をして気付き始めたのね。

30代ぐらいにぼんやりとそれに気付き始めて、40代ぐらいにはもう自分の中で一つ理論の様なものを持ってたんよね。

そうしたら確かめたくなる。
“話す事が人間にとって、私達が思っている以上に凄く大事だよね”って事を色々と勉強し始めたからな。

だから丁度この時期ぐらいに、僕も人生で初めて真剣に本を読み始めました。(笑)

こうして、ある程度自分の中で自分の思ってたこと、考えてたことがまとまってきたので、こうして今は大学で講師として色々な大学生にコミュニケーション・“しゃべり”とは何なのかについて教えています。

 

―――講義について、もう半期あれば何を教えてくれるのかについて教えてほしいです。

 

吉村先生: この授業は後期のみなんだけど、本当は1年通してやりたかったんよね。

やっぱりどうしてもコロナのせいでマスクしてるから出来ないんだけど、マスクを外して喋り合いの授業。“やり取り”の授業としてお互いに実践していくことをしたかったな。

そうやって一緒にしゃべる。つまり体を使ってしゃべる事によって、始めて何かが分かる。体から理解するってことは、知識で覚えることと種類が違う。

生きるためには、“覚える”ではなくて“分かる”事が大事だと思うから、もしもう倍の時間があれば、体から覚える実践の部分をもっと取り入れて講義を進めていたかな。

 

―――コミュニケーションについて教え始めたのはいつ頃からなんですか?

 

吉村先生: 教え始めたのは54歳からやね。54歳の頃で丁度サラリーマン歴30年で、大体テレビ局のサラリーマン、僕は朝日放送でディレクターやってプロデューサーやって、部長やってってすると、大体50歳ほどで現場から外れてしまうんよな。

まあ管理職なわけだけれども、部長・局次長・局長といった組織をどう動かすかといった仕事にシフトしていくわけ。

それは会社にとってすごく大事な仕事ではあるんだけど、僕にとってはあまり面白くなかったんだよね。

だってほら、現場が好きで、現場で芸人さんとか俳優さんとか、作曲家さんとかと喋って一緒に表現を作る事がオモロイって思ってる訳だから、会社の中で会社が何億儲けて何十億儲けてって話を聞くのが面白くなかったの、会議も好きじゃないしね。

んでどうしよかな~って思いながら若いディレクターに色々イロハを教えながら過ごしてきた時に、大学からそういった事を講義の場で教えてみないか?って言うお話が来たんですよ。

若いディレクターに教えるのも大学生に教えるのも基本的には同じじゃん、その話が真摯に伝わるか、広がるかという話は別にしてね。

それでその話を聞いた後にたまたま偶然、僕の先輩が同志社女子大学の方で講義枠を持っていて、その人が定年かなんかで交代する時に、“誠君、君やってみないか?”って声がかかったんよね。

それを聞いて僕は“待ってました。ナイスタイミング!”って気持ちで、朝日放送のサラリーマンをやりながら、もう一つ大学教員として同志社女子大学で講義をすることになったんよね。

 

―――そうやって先生の中で、教職が始まったんですね。

 

吉村先生: そう、それで57歳の時に、朝日放送のテレビマンを辞めたんよね。ここからは完全に大学教授になったかな。

その後に宝塚大学で大学教授として講義を行って、同志社女子大学も教えたり、淡路島にある関西看護医療大学という所でも教え始めて、今年から工科専門職大学で教え始めるといった流れですね。

 

―――大阪工科に来るきっかけみたいなものはどういった感じだったんですか?

 

吉村先生: ここに来るきっかけは3つほどあります。

まず1つ目はこの大学の学科長の山口先生です。山口先生は宝塚大学の同僚だったので、そこから声をかけてもらいました。

同志社女子大学の方も講義が終わるので、いいタイミングだからという事でこの大学で教えませんか?という流れでね。

2つ目はこの大学の学務課、カリキュラムを作るところやね。そこの人、具体的には日野さんから“言語についての授業を設定したい”という要望から、僕の名前が呼ばれたわけです。

特にその時は『お笑い芸人の言語学』の本も出版してたし、言語という所で言うなら適したと見えたんじゃないかな。

だから“やってくれませんか?”という形で声がかかりました。

3つ目は、このキャンパスの専門学校の方を長い事教えている植島君という付き合いが長い友達がいるんだけど、
その上島君から“まこっちゃん、教えに来てや”という3つの声がかかったから、僕は今ここにいる感じやね。

 

―――なるほど、ありがとうございます。
そんな先生の大阪工科のイメージについて、どういった印象なのか教えていただきたいです。

 

吉村先生: 「まだ手探り。」これが正直な感想です。

週に1回、1コマだけ教えていますけど、コロナで皆マスクをしていて、触れあいだったりしゃべくりだったりみたいな、お互いに打ち解け合う事が出来ないから、どんな学生なのかな、どんな人なのかなという所がハッキリと掴めてはいないと言うが正直な所です。

だけれども、ここで講義をして1つ発見をした事は、工科専門職大学だから、ジャンル的には工業系かもしくはエンタメ。
だからアニメとかロボットとかIT系、そういった所にガチガチになっている人が多いと思っていたの

まあ言ってしまえばオタク系と言うのが楽かもしれないけど、そのジャンルにしか興味を向けてくれないし、真面目で少し固い感じを想像してたのね。

だけどね。数カ月教えてそうじゃなかった。ってことが分かったんだよ。

僕としてはこれは凄くラッキー。

僕が教えている「言葉」の授業は言葉から広がる発想・社会・歴史や言葉を入り口にするプロデューサー論っていう、幅広いし掴みどころがない、言い方を変えれば“狭く深く”じゃなくて、“幅広く浅く、そして面白い”授業を目指しているわけなんだけど、この大学の学生はこれを受け入れてくれるかな?ってやっぱり心配してたんだよね。

“この授業は俺らには関係ないわ~”って思う学生が多いと、せっかく教えて喋っていても、やっぱりどこか辛いんだよね。

だから俺らも学生に向けて、講義の中で色々な球投げてみるわけ。

例えばこの大学はゲーム作る大学だからさ、ゲームやってる人もちろん多いし、AIとかロボットを専門にしてる人多いわけでしょ?

けどね、僕が変に擦り寄って、ゲームとかアニメとかに話題を寄せて話すとスベる!

先生からしたらさ、学生にちょっと気に入られようとか、学生がもっと興味持って聞いてもらいたいと思うからさ、学生に擦り寄って、悪く言えば媚び売る時があるんだよ。

あんまりよく分かってないけどゲームの話しようとかってして、変に寄って話をすると学生の方から近づいてこない!(笑)

後ね、講義で“これは学生が身を乗り出して聞くだろう”と思ってた内容が、まぁ見事にスベって、「こりゃアカンわ」ってなったんよね。

だから“ああ、なるほどな”って、僕が学生に寄るんじゃなくて、あくまでもこんな事をやってきたおっちゃん先生が、こんな事を考えてきて、こんな事を伝えたい・伝えるんだよって言う感じに途中で切り替えたわけ。

だから講義の、そうやなぁ…7回目?6回目?ぐらいで方針転換したのを覚えてるわ。

だからこの半年間の講義は、やっぱりまだ手探りの状態ではあるけど、良い意味で工科専門職大学という大学のイメージから外れている学生達だなというのは、やっぱり思ったかな。

 

制作現場とコミュニケーション

―――先生が思う、「コミュニケーション」は、制作現場やモノづくりの場所において、どういった物なのかについて教えて頂ければと思います。

 

吉村先生: うーん……。凄く難しい。どれぐらい難しいかって、それが伝えられたらディレクター/プロデューサーになれるぐらいには難しいわ。(笑)

けど、簡単に言えば『それが無かったら表現が作れない』という事やね。

いや、作れるか。ただしどうしてもレベルが低い物にはなる。これは間違いないな。

例えで話すとするなら、オーケストラやな。オーケストラの中心には指揮者が絶対にいる。でもなんでコンダクター、指揮者がいるねんって話になるんよな。

オーケストラやねんからそんなもの当たり前やんって思うかもしれんけど、必要やからそこにいる。演奏者全員に見える様に真ん中にいる必要があるぐらいには必要やねんな。

けど、ここであんまり勘違いしてほしくないのが、オーケストラで演奏している1人1人はプロやねん。それも一流のプロフェッショナル。

もし指揮者がおらず、一流のプロがコンサートに集まったらオーケストラが出来るか。なんか出来そうな気がするけど、出来ひんねんこれが。

これを放っとくとな、それそれがそれぞれの“一流”で演奏し始める。皆一流のプロの演奏をするんだけれども、バラバラ。絶対にまとまる事はなく、音もリズムもバラバラで和音にならない。

だからこそ、コンダクターという「総合演出」をする指揮者がいて、それぞれのパートに指示を出し、コミュニケーションを取り合いながらやっている。だからこそオーケストラはまとまって一級品の演奏を届けられるんよな。

これは、もちろんオーケストラだけじゃなく、テレビもそうだし、他のどの分野でもそんなに変わらんと思うよ。

 

―――なるほど、では、先生はどのようにコミュニケーションを使って、プロデューサーとして仕事をしてきたんですか?

 

吉村先生: プロデューサーにとって大事なのはね、まずは理屈。表現を作る論理を組み立てる必要がある。

誰がどう言おうとこれはこうこうこういう考えでこういう風に作るんだ!この表現は素晴らしいんだ!って自分にも思うし、他人にも思わせるための理屈・論理力が1つ目ね。

そして、その論理を他人に説明して納得してもらうための言語力。

自分が“いいな”・“好きだな”って思う物は皆誰しもあるんだけど、でもこれを「ねぇ君、君もこれを素晴らしいと思ってよ!出来たら一緒に作ろうよ!」って言うために、自分が好きで、良いなって思う物を自分の以外に伝えて、納得してもらって、そして喜んで仲間になってもらう。

だから、プロデューサーに必要な力は、「論理・理屈を組み立てられる力」「それを説得して、仲間になってもらうための言語力」この2つです。

 

―――そんな先生は、プロデューサーとしてどういったものを作ってきたんですか?

 

吉村先生: これはね、『オールラウンド』という言葉が一番正しいかな。

これはね、本当にたまたま、僕がそういう順番でめぐり合わせになったんだけど、結果的に、本当にラッキーな事なんだけど、ありとあらゆるテレビ表現を“やってしまった”。

大体ね、こういう業界では入っていくと最初から1つの領域をやり続けて、その領域の専門になっていくんだよね。

例えばテレビだと、分かりやすい話で行くと報道部に入れば報道やニュース・ドキュメンタリーばっかりやります。
スポーツ部に入ればプロ野球中継・オリンピック中継なんかをばっかりやってプロになります。大体こんな感じなのね。

僕はテレビ番組を作る、テレビ制作の部門のところにいて、音楽番組を作るなら音楽番組のプロ、お笑いやったらお笑いのプロになる。そして20年30年たったら“あの人は凄い”ってなるのが普通なの。

僕は一番最初音楽番組やってたんだけど、本当にたまたま前の音楽番組の有名なプロデューサーとこれまた有名なディレクターが喧嘩しよったんよ。(笑)

凄い両方とも優れていて、名前のある人だったんだけど、喧嘩したらその番組のディレクターとかがいなくなるの。

それでまだ入って半年の僕に“ちょっとお前やれやピンチヒッター、できるやろ”って、そこで5年ぐらい出来たんよ。

僕がさっきオールラウンドって言った理由はこれやね、『ピンチヒッター』として起用されて、ヒットを打って、そのままレギュラ―として立て直す。そしてまた別の所に行くっていうのを繰り返してきた訳よ。

ピンチヒッターとして空振りは僕が思うにないけど、大失敗はめちゃめちゃしてきた。けどある程度はきちんとやってきたと言う自負はあるわけよ。

そういう感じで僕はテレビプロデューサーとして生きてきたんだけど、まずは音楽番組、次にお笑い番組をやって、その次に『新婚さんいらっしゃい』をやって、トーク番組をやって旅番組もやったかな。

でも、ピンチヒッターとして色々な番組をやってきた強味ってのがやっぱりあったんよな。

トーク番組で日本全国に行ってロケするし、『新婚さんいらっしゃい』なんかでも日本全国の街や村の地理や山や川をみんな知るわけよ。

その後に旅番組をやるってなると、さっきの知識がめちゃめちゃ役に立つわけよ、ある意味ラッキーとも言えるけど、めっちゃアドバンテージになるんよね。

その内に今度は東京で大きなバラエティ作ったり、大阪に帰って来たら情報番組持つの、ニュースもかなりやったかな。

とこんな感じで、あらゆるジャンルをやってきたかな、ドラマのプロデューサーももちろんするし、逆にやったことないのはドラマの演出とプロ野球の中継はやったことないかなぁ。けどそれ以外のテレビ表現は全部やったことあると思うよ。

それがね、やっぱり役に立つんよね。

他のジャンルやってる時なんかはめっちゃしんどいで、“なんでこんな事せなあかんねん”。とか、“こんな分からんフィールドなんでやらなあかんの?”ってやっぱり思うんだけど、

やっぱり終わってみると“これ分かる”。“これも分かる”ってなってた。

そうやって無我夢中でやってきて、気が付いたら周りにはそんな人おらんくなってた。

それで一番最後に、僕がたどり着いた所が『M-1グランプリ』になるんよね。

 

『M-1グランプリ』について

―――やっぱり講義の中で色々先生の経歴を色々聞きますけど、一番衝撃的だったのが『M-1グランプリ』でしたね。

 

吉村先生: “M-1グランプリを作ろう”って思った時、始めはみんなに馬鹿にされたよ。

あれを作ろうと思ったきっかけは色々あるけど、いざ作ろうと思ったら「お前はアホか」ってずっと言われてた。

“あんなもん、なんで漫才のコンテストで優勝賞金1000万やらなあかんねん、わざわざ作らんでもええやないか”って、朝日放送の中で皆から会議やら何ならで馬鹿にされてた。

ちゃうねん、ちゃんと意味はあるんだ。論理はあるんだって、この番組が今からの日本のテレビやお笑いを引っ張っていくんだって。
という事を延々と説明して、説得して、動かないそいつらを引っ張って引っ張って何とか漕ぎつけたって感じやったよ。

もちろん、当たり前の事だけどM-1グランプリは僕1人で作ったわけではなくて、主なメンバーは3人います。

まず1人目は島田紳助君。名前も聞いたことあるかも知らんけど、この人が『M-1グランプリ』の発案者やね。
そして吉本興業の谷良一君というプロデューサー、この人が2人目なんだけど、この人がイベントとして広げるって言う事をやる。
そして3人目の吉村誠がテレビの番組として成立させている。

この3人がタッグを組んで成立させたのが一番最初のM-1グランプリなんだよね。

それがM-1グランプリの始まりなんだけど、やっぱり今ね、10年経って20年経っていくと、作った時の理念とかそういったものも含めて変質している、質が変わっているというのはやっぱり感じるわな。

これは残念だなと思うところもあるし、それも仕方ないわなって思う事もやっぱりある。
20年経てば中身も、やってる人も変わるからね。

でも、M-1グランプリの芯にある物は、今も変わらず続いていると思うよ。

それにさ、M-1グランプリの他のコンテストあるでしょ?でも他のコンテストはM-1の後に出来た物だからね。(笑)

でも真似されるっていうのはいい事です。それだけ“いい物”を作ったって事だからね。

こうして僕らがM-1グランプリを、皆に馬鹿にされながら作って、そして大ヒットした。
10年続いて、一旦中断したけどもう一回復活して、今もなお続いている。

M-1グランプリは今、お笑いの番組としては誰が何と言おうと日本一じゃないですか、

“『M-1グランプリ』に優勝するかどうかで、お笑い芸人の人生が変わる”って言われるぐらいになってきて、結果的にそういう物を作れたことは嬉しい事だと思います。

 

テレビの今と昔について。

―――M-1グランプリでの話ありがとうございます。
そんなテレビマンとしての吉村先生に、“テレビの今と昔”について、何か感じている事や思っている事なんかがあれば教えて頂ければと思います。

 

吉村先生: うん。結論から言うとね、「今のテレビはおもんない」よね。

皆youtubeがあるからテレビを見ないんじゃない、“テレビがおもんない”からテレビを見ない。
じゃあ代わりに何を見るかってなった時に、テレビよりも面白いyoutubeを見るんよ。

これは僕から見れば当ったり前の話になるんだけど、テレビを作っている人達、これは新しいメディアに押されている人達とも言い換えられるんだけど、“負ける人は負ける理由”を作るんよ。

これは何もメディアの戦いだけじゃなくて、本当に様々な所で当てはめられると思う。

負ける人というのは、“負けて仕方ない”という理屈をつけて自分を守る。と僕は思っています。

今のテレビはまさしくそうです。ゆっくりゆっくり負けていっている。言うほど急速には負けない。
今はまだテレビ局は日本のあらゆる職種の中で平均の給与が一番高いからね、それだけまだテレビ局は儲かっているんよな。

それにテレビ局は無くなる事はありません。まだまだ続きます。けどじわじわ、じわじわ弱って来ている。これは間違いないと思います。

だってもう普通の番組で視聴率20%超えることはないからね、僕らが若い頃の番組は視聴率20%で“良く取った方”。視聴率30%で“おお、よう取ったな”。これが基準でした。

視聴率ってところだけを見ても、今では基準が全然違うでしょ?そういう事なのよ。

 

吉村先生: そういった話で続けると、僕もテレビマンやってきたから、テレビに関してはやっぱり厳しい目で見るんだけど、今の夜7時台とか夜8時台のテレビはほとんど見ない。おもんないからね。

今リアルタイムに見る必要はない。もし見る必要が出来たとしても録画して2倍速で見れば十分だわ。

俳優の誰それとジャニーズの誰それが、どっかに行って美味しい物を食べました。
ほとんどそれだもん今は、だから僕は、“貴重な人生の2時間を使ってそれを見る必要はない”と思っちゃうわけだよ。

ドラマで言うとね、今見てるのは朝ドラと大河。この2つは見るけど、やっぱりレベルが高い。
使っているお金もそうだし、スタッフのレベルも高い。

それはドラマの演出だけじゃなくて、ちょっとした衣装であったり小道具であったり、髪型もそうだし、使う言葉のリアリティもそう。そういう細かい端々までの目利きや配慮といった努力がクオリティを段違いに上げていると思うね。

あとは、テレビマンとしてテレビの衰退を見るなら女優・俳優の部分でも見えるかな。

今日本のタレントさん、俳優や女優さんがどこで力をつけてどこで出世しているかと言えばもう朝ドラと大河です。

今の女優さん、俳優さんは朝ドラとか大河でブワッと力をつけてくる。やっぱり細かい所にまでクオリティが求められるから。

それで1年後ぐらいに民放のドラマとかにそのタレントさんがワーッと出始める。これが今の流れです。

かつては違ったの。かつてはどのドラマでも、どのバラエティでもそれぞれの番組で若いお笑い芸人・若い俳優・女優さんを見つけて、育てる事が出来たのよ。

でもここ20年ぐらいはそれが出来ていない。その力がなくなった事は、作り手として見てたらやっぱり分かる。もちろん頑張ってる番組や放送局もあるから、全てが一概にそうとは言えないんだけどね。

けど、そういった見えないところからもテレビっていう物の時の流れが見えてくる。僕はそう思います。

 

先生の思う「コミュニケーション」とは?

―――僕は近頃、「コミュニケーション」という言葉を色々な所で聞いて、複数の意味を持たせすぎていると感じるんですよね。
だからこそ聞きたいんですが、先生が思うコミュニケーションとはどういったものになるのかについて、教えて頂ければと思います。

 

吉村先生: 一番僕の言っている「コミュニケーション」に該当するのは、“気持ちのやり取り”です。

今、コミュニケーションという言葉を使っている人達、特にマスコミだけどね、メディアとかになると思うんだけど。

ただ間違えているのは、コミュニケーションを「情報の伝達」と理解している。それが間違い。

だから、うまく伝わらない・伝わる。コミュ障ですとか、コミュニケーション能力が高い・低いです。という感じの意味合いに聞こえるんだよ。

ちゃうんです。
伝わる・伝わらないよりも前に、一緒に仲良くワイワイやる事の方が人間にとって一番大事なんだよ

それは、一方通行ではなくて双方向。“やり・取り”です

これは授業で何回も言ったけど、言葉というのは何かを伝えるために人間が編み出したテクニックではありません。

遥か昔の私達の祖先が、この世界を生き延びるために、団結するために、仲間として仲良くなるために言葉という物を身に付けたんです。体で知ったんです。

多分これは運命です。人間の進化の運命なんです。
結果として仲良くなるための言葉を身に着けてうまく使えた人だけが生き延びることが出来た。

だから、コミュニケーションとは、“仲良くなるための気持ちのやり取り”です。

今の時代は、コミュニケーションという言葉によって様々な意味が紐づけられ、そしてそれがあらゆる所で使われています。そしてそれが大事だと教えられてる。

だからこそ、今、コミュニケーションとは一体何なのかについて学ぶことは、今必要な知識じゃなくても、これから皆が生きていく上で必ず必要な智慧になります。

もちろんね、僕の講義もまだ終わってないので、まだまだ一緒に考えていきましょう。

 

―――はい。ありがとうございます。これでインタビューは以上になります!吉村先生お話して下さってありがとうございました!

また講義の方も、後少しにはなってしまいますがよろしくお願いします!

 

最後に

はい、いかがだったでしょうか!

今回のインタビュー記事は、吉村先生の話し言葉でそのまま作成するように心がけましたので、吉村先生と実際に喋るときもこんな感じです。(笑)

そして、吉村先生のコミュニケーションに対する考え方や、前歴での経験談・テレビへの考えなど様々な部分がこのインタビューで見えてきたと思います!

そして、今回吉村先生がこういう思いや考えを持って、今まで何をしてきて、そして今どのように講義をしているのかについて知っていただけたのであれば嬉しいです!

改めて、インタビューへのご協力ありがとうございました!

まだまだ講義は続くので、これからもよろしくお願いします!

 

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